任天堂から初代ゲームボーイが発売されたのは1989年である。当時はまだスペインに住んでいたので、どのようにしてゲームボーイを知ったのか調べてみたところ、日本に住んでいる祖父母が時々日本の荷物と一緒にスペインに送ってきてくれていた「月刊コロコロコミック」に連載されていた「突撃!ゲームボーイ」を読んでいたからではないかと思う。コロコロコミックには、ミニ四駆を題材にした「ダッシュ!四駆郎」も連載されており、私と日本を繋ぐ一番熱いメディアであった。
不運にも(?)ゲームボーイを発見してしまった私は、矢も盾もたまらずゲームボーイが欲しくなり、祖母にゲームボーイを送ってくださいとおねだりの手紙を書いた。しかも2台。一人で2台持っててもしょうがないので、たぶん姉の分も加えたのだと思う。しかも、親には内緒でおねだりした。。優しい祖母は僕の願いを聞いてくださり、スペインにゲームボーイを船便で送ってくれた。1台だけだったが、もちろん歓喜した。記事を書きながら、ゲームボーイが届いた時のワクワクを久しぶりに思い出した。箱を開けてゲームボーイを取り出し、確かな手応えのある大きさで、持ってみるとちょうど良く手に収まる。一緒に届いたゲームソフトは「スーパーマリオ」と「テトリス」だったと思う。スーパーマリオは理由は不明だが、途中で保存することが出来ないため、ゲームオーバーになるまで止めることができなかった。スーパーマリオのBGMは今でも鮮明に覚えている。中国風の音楽やアラビア風の音楽、海が舞台の明るい音楽。他によく遊んだソフトは「モトクロスマニアックス」「テニス」「平安京エイリアン」「ベースボールキッズ」「バットマン」「ロックマンワールド」「スーパー桃太郎電鉄」だな。スペインではマイナーな野球のルールはだいたい「ベースボールキッズ」で知り、日本の地名は桃鉄で覚えた。難しい稚内(わっかない)とか、桃鉄で覚えたもんだよ。おもしろかったなー。意外と桃鉄の影響は大きい。
閑話休題。ゲームボーイを手に入れた私は、もちろん学校に持っていった。日本の学校みたいにうるさくないので、ゲームを持っていくのは禁じられていなかった。休み時間になるとゲームボーイで遊んだ。床に座り、友達と交互に遊んだ。私は夢中になると(今でも!)舌が出る癖があるので、それも絵に描いてみた。まだスペインでは発売されていなかったので、ゲームボーイはスペイン語読みで「ガメボイ」と読んで、ガメボイを少なからず流行らせてしまった。ゲームボーイを持っている私に目を付けた知らない上級生に何度も貸してくれるようおねだりされて困ったことがあったっけ。初代ゲームボーイの洗礼を受けたからか、進化した3Dゲームには今でも馴染むことができずにいる。私の中では一番夢中で遊んだゲームは初代ゲームボーイなのだ。